ホノルルの診察室で、医師が胚の写真を指しながら説明していました。
隣に座る日本人のご夫婦は、私の訳を聞くたびに小さくうなずきます。
説明が終わって廊下に出たとき、奥さまに「さっきの話、もう一度ゆっくり聞いてもいいですか」と言われました。
診察室で訳すだけでは終わらない。
この仕事の手ざわりを知ったのは、その日だったと思います。
はじめまして、医療ライターの佐伯涼子です。
大学を出てから渡米し、ハワイの医療機関で日本人患者さん向けの医療通訳を8年務めました。
担当の中心は体外受精や卵子提供などの生殖医療で、診察への同行や同意書の翻訳をしていました。
帰国後は医療やヘルスケアの分野で10年ほど書く仕事をしています。
この記事では、海外の不妊治療に関わる医療コーディネーターがどんな仕事をしていて、現場で何を求められるのかを、公的な資料と私の経験をもとに整理します。
この仕事に興味がある方にも、エージェントのスタッフがどこまで動いてくれるのか知りたい患者さんの側にも、読んでいただけるように書きました。
「医療コーディネーター」は、職場によって指す仕事が違う
最初に言葉の整理をしておきます。
求人や記事で「医療コーディネーター」と書かれていても、職場によって中身がかなり違います。
| 種類 | 主な職場 | おもな仕事 |
|---|---|---|
| 外国人患者受入れ型 | 国内の病院 | 日本に住む外国人や訪日客が受診するときの院内外の調整 |
| 受診支援型 | 民間の団体や個人 | 日本の患者さんが治療を選ぶときの相談や意思決定の支え |
| 海外治療エージェント型 | 卵子提供・代理出産などのエージェント | 日本の患者さんが海外のクリニックで治療を受けるための橋渡し |
この記事で扱うのは、3つ目の海外治療エージェント型です。
ただ、公的な調査があるのは1つ目の病院側なので、先にそちらの数字を見ておきます。
外国人を受け入れる側の調査ですが、間に立つ人の仕事の中身は、送り出す側とよく似ています。
病院の調査では、仕事の中心は通訳より「調整」
厚生労働省の「令和7年度 医療機関における外国人患者の受入に係る実態調査」は、2025年9月1日時点で全国の病院に配置状況を尋ねています。
回答した5,745病院のうち、外国人患者受入れ医療コーディネーターを置いていたのは159病院で、全体の2.8%でした。
置いている病院でも、兼任だけで回しているところが70.4%を占めます。
専任のみは8.8%です。
兼任者の職種でいちばん多いのは事務職員でした。
役割として挙がった項目(複数回答)の上位はこうなっています。
- 院内の部署・職種間の連絡調整(128)
- 患者や患者家族とのコミュニケーション(121)
- 外国人患者対応に特有の院外関係者との連絡調整(104)
- 自身による通訳の実施(95)
通訳は4番目です。
私の実感とも合っています。
訳している時間より、誰かに確認の連絡を入れている時間のほうが、ずっと長かったからです。
海外の不妊治療でコーディネーターが受け持つ仕事
ここからは海外治療エージェント型の話です。
治療の流れに沿って、出発前、現地、帰国後の3つの時期に分けて見ていきます。
出発前:相談を受け、クリニックとの間に立つ
最初の仕事は、ご夫婦の話を聞くことです。
治療歴、年齢、希望する国、予算、仕事の都合。
ここで聞いた内容をもとに、クリニックの候補を挙げ、契約や日程の調整に入ります。
卵子提供なら、ドナー選びの段階から関わることもあります。
現地クリニックへ送る検査結果を訳し、向こうからの質問を日本語にして返す。
このやり取りが何往復も続きます。
たとえば、現地のクリニックから「前回の採卵で使った薬と量を教えてほしい」と問い合わせが来たとします。
日本の記録には、薬が日本の商品名で書かれています。
同じ成分でも海外では別の名前で売られていることが多いので、成分名に置き換えて伝えなければなりません。
地味な作業ですが、ここで取り違えると現地での治療計画がずれます。
現地:診察室の中と外
渡航中は、診察室での通訳がいちばん目に見える仕事です。
ただ、私の記憶に残っているのは、診察室の外のほうでした。
空港からの移動、薬局での薬の受け取り、次の診察の時間の確認。
採卵や移植の前日に眠れないという方から連絡が来れば、翌朝の段取りを一緒に確かめました。
冒頭の奥さまのように、診察のあとで説明をもう一度聞きたいという方も少なくありません。
帰国後・出産後:手続きと、その後の連絡
帰国すれば終わり、ではありません。
妊娠判定の結果を現地と共有したり、日本の病院へ引き継ぐ書類を整えたりします。
代理出産の場合は、出産後に現地で出生証明書や渡航書類をそろえる期間があり、その間の生活の支えもコーディネーターの仕事になります。
結果が出なかったときも、連絡は続きます。
次の移植に進むのか、いったん休むのか。
現地の医師の見解を訳して伝え、ご夫婦が決めるまで待つのも仕事のうちです。
時期ごとにまとめると、次のようになります。
| 時期 | 主な仕事 |
|---|---|
| 出発前 | 相談、クリニックの選定、契約や日程の調整、書類の翻訳 |
| 現地 | 診察の通訳、送迎や通院の同行、滞在中の困りごとへの対応 |
| 帰国後・出産後 | 結果の共有、国内の病院への引き継ぎ、出生後の手続きの支援 |
実際のエージェントの例として、卵子提供・代理出産エージェントのモンドメディカル(株式会社MONDOMEDICAL)を見てみます。
2015年設立の会社で、卵子提供はアメリカやアジアの提携クリニックと国内の医療機関、代理出産はジョージアやアルメニアなどの医療機関と連携しています。
公式サイトには、医療機関の選定・マッチング、契約手続きのサポート、現地クリニックとの連絡・進捗管理、診察時の医療通訳、診療結果や同意書などの翻訳が仕事として並んでいます。
ジョージアでの代理出産では、出産後の約2か月の滞在中に、買い物の手伝いや新生児の健診への付き添いまで支えると書かれていました。
2020年にWantedlyに出ていたスタッフ募集(現在は募集終了)には、「月の半分は海外出張になります」とありました。
この会社は、専任のコーディネーターが一貫して対応する形をとっています。
そうした仕事の進め方は、モンドメディカルが評判を調べてから相談に来るお客様への姿勢をつづった会社紹介ページで読めます。
エージェントで働くことを考えている方は、こうした会社側の説明を何社か読み比べると、仕事の幅がつかみやすくなります。
現場で求められること
医療の言葉まで訳せる語学力
日常会話ができることと、診察室で訳せることの間には、かなり距離があります。
胚の評価、ホルモンの数値、薬の飲み方。
一語を取り違えると、治療の予定そのものがずれます。
日本には医療通訳の国家資格はありません。
民間の検定や学会の認定はありますが、持っていないと働けない仕組みにはなっていません。
目安になるのが、厚生労働省の「医療通訳に関する資料 一覧」に掲載されている医療通訳育成カリキュラム基準です。
研修は50単位以上(1単位90分)とされ、受講の条件として対象言語でCEFRのB2以上が目安に挙げられています。
B2は、自分の専門分野なら込み入った話の要点もつかめる水準とされています。
中立でいること、話を盛らないこと
同じカリキュラム基準は、医療通訳者の倫理として「すべての通訳利用者に対して中立・公平な態度を取ることができる」「職務上知り得た情報等の秘密を保守し、プライバシーに配慮することができる」ことを挙げています。
エージェントのコーディネーターは、会社に雇われて患者さんを支える立場です。
それでも、医師の言葉を明るく言い換えたくなる場面はあります。
判定が厳しいときほど、言われたとおりに訳す。
そのうえで、診察のあとに時間をとって話を聞く。
私はこの順番を守るようにしていました。
訳す内容を足したり引いたりしないことは、ご夫婦を守ることにもつながります。
「説明を受けたはずなのに聞いていない」という食い違いが起きにくくなるからです。
制度が決まっていない部分を知っていること
海外の不妊治療を受ける方の多くは、日本の制度の外側に出ています。
ここを理解していないと、患者さんの質問に答えられません。
日本受精着床学会の倫理委員会がまとめた「卵子提供についての見解と提言2022(案)」は、斡旋業者が関わる国外での卵子提供には「学会等のガイドラインは及ばず」と書いています。
そのうえで、告知や出自を知る権利を含めた十分なカウンセリングやその後のフォローアップがされているケースは少ないと推測される、と指摘しています。
代理出産については、日本産科婦人科学会の見解が「代理懐胎の実施は認められない」としています。
2026年6月に改定された現在の見解でも、この立場が示されています。
国会でも、第三者の卵子や精子を使う治療のルールを定める「特定生殖補助医療に関する法律案」が2025年2月に参議院に出されました。
参議院の議案情報では審議の結果は「未了」で、2026年10月時点で新しい法律はできていません。
決まっていないことは決まっていない、とそのまま伝える。
子どもに出自をどう伝えるかという話題も、ご夫婦が自分たちで考えられるように材料を渡す。
学会の提言が指摘している「カウンセリングとフォローアップ」は、現場のコーディネーターが日々の連絡の中で受け持っている部分でもあります。
時差のある連絡と、自分を守る線引き
ハワイと日本の時差は19時間です。
こちらの朝が、日本の深夜にあたります。
夜中に届く不安なメッセージに、どこまで、いつ返すか。
ここを決めずに始めると、数か月で体がもたなくなります。
LINEのように気軽に送れる連絡手段が当たり前になった今は、なおさらです。
私がいた職場では、急ぎの医療判断は必ずクリニックの窓口へつなぐと決めていました。
コーディネーターは医師ではないので、薬の量や受診の要否を自分の判断で答えることはしません。
この線引きは、自分の身を守るためにも必要でした。
向いている人、事前に覚悟しておきたいこと
一緒に働いた人たちの前歴は、看護師、旅行会社の社員、語学学校の講師とばらばらでした。
共通していたのは、医療の知識を後から学ぶ覚悟があったことです。
8年間を振り返って、この仕事に向いていると感じたのは次のような人です。
- 人の話を最後まで聞くのが苦にならない
- 細かい日程や書類のやり取りを正確にこなせる
- 分からないことを「分からないので確認します」と言える
- 自分の価値観と違う選択も、相手の決めたこととして受け止められる
一方で、覚悟しておきたいこともあります。
- 出張や時差のある連絡で、生活のリズムが崩れやすい
- 結果が出なかったご夫婦にも、最後まで付き添うことになる
- 制度の変化に合わせて、学び直しが続く
うまくいかなかった判定の日も、帰りの便の手配はしなければなりません。
その重さを知ったうえで、それでも続けたいと思えるかどうかが分かれ目だと感じています。
まとめ
海外の不妊治療に関わる医療コーディネーターの仕事は、通訳だけではありません。
相談を受け、クリニックとの間に立ち、現地で付き添い、帰国後の手続きまでつなぐ調整の仕事です。
求められるのは、医療の言葉まで訳せる語学力、中立と守秘を守る姿勢、そして日本の制度がまだ決まっていない部分を理解していることです。
国家資格はありませんが、厚生労働省のカリキュラム基準は自分の力を測る目安になります。
この仕事に興味がある方は、まずエージェント各社が自分たちの仕事をどう説明しているかを読み比べてみてください。
患者さんの側の方は、担当者がどこまで動いてくれるのかを、最初の相談で遠慮なく聞いてみてください。
診察室の外で何をしてくれるかに、その会社の仕事ぶりが出ます。