医薬品製造で起きがちな“勘違い”とその正しい理解

医薬品工場に一歩足を踏み入れると、そこには一般製造業とは異なる緊張感が漂っています。

私が新入社員として初めて無菌製剤の製造現場に立った日のことを今でも鮮明に覚えています。

「これは間違ってはいけない」という重圧と、「これが正しい」という確信—その間で揺れ動く現場の姿がありました。

医薬品製造における「正しさ」とは何でしょうか。

それは単なる法令遵守ではなく、患者さんの命に直結するという責任の上に成り立つものです。

しかし現場では、規制や基準の解釈において様々な”勘違い”が生まれ、時に非効率な業務や本質からかけ離れた対応を招くことがあります。

こうした”勘違い”が生まれる背景には、GMPなどの規制文書の難解さ、先輩から後輩への慣習の継承、そして現場の切実な「問題を起こしたくない」という心理があります。

20年間の製薬現場経験と、その後の執筆・コンサルティング活動を通じて、私は現場と規制の”あいだ”に存在する様々なギャップを見てきました。

本稿では、医薬品製造現場でよく見られる5つの”勘違い”とその正しい理解について、現場の視点からお伝えしていきます。

勘違い①:「GMP=文書主義」の誤解

GMP(Good Manufacturing Practice)とは、医薬品の製造管理および品質管理の基準を指します。

この基準に準拠することは、製薬企業にとって法的義務であると同時に、品質保証の礎となるものです。

しかし、多くの現場ではGMPを「文書さえ整えればよい規制」と誤解している例が少なくありません。

書類さえ整っていればOK?

「書類の不備を指摘された」「監査前に文書を急いで整備した」という話をよく耳にします。

こうした対応の背景には、GMPの遵守=文書の完璧さという認識があります。

確かにGMPでは文書化は重要な要素ですが、それは手段であって目的ではありません。

文書化の真の目的は、製造プロセスの透明性と一貫性を確保することにあります。

記録と実態のギャップ

文書主義に偏ると、記録と実態のギャップが生じやすくなります。

例えば、製造記録には「1時間攪拌」と記載されているにもかかわらず、実際には「約40分程度で次工程に進んでいた」というケースがあります。

このような乖離は、単なる不正確さにとどまらず、製品品質への潜在的リスクとなります。

特に海外査察官は、こうした「言っていること」と「やっていること」の不一致に敏感です。

GMPの本質とは「行動の再現性」

GMPの本質は「製品品質の一貫性を保証するための行動の再現性」にあります。

つまり、同じ操作を行えば同じ結果が得られる状態を確保することです。

文書はそのための道具であり、現場での実践を支える骨格なのです。

私が品質部門にいた頃、ある製造担当者から「どこまで細かく記録すればいいのですか」と質問されました。

その際に伝えたのは、「その記録を見て、あなたがいない日に別の人が同じように製造できるかどうかを考えてください」ということでした。

「GMPは『証拠を残す』ためではなく、『確かな製品を作る』ための仕組みである」

文書と実践が一体となってこそ、真のGMP遵守と言えるのです。

勘違い②:「逸脱は隠すべき」の思い込み

私がある中小製薬企業を訪問した際、こんな出来事がありました。

製造責任者が誇らしげに「うちは過去3年間、逸脱ゼロを達成しています」と話したのです。

その瞬間、私の警戒心が高まりました。

なぜなら、それは素晴らしい品質管理の証ではなく、むしろ問題の兆候だったからです。

「ゼロ逸脱」が優秀なのか?

医薬品製造のような複雑なプロセスにおいて、「逸脱ゼロ」は非現実的です。

実際には、小さな逸脱や予期せぬ事象は日常的に発生するものです。

ある大手外資系製薬企業では、年間数百件の逸脱報告が上がりますが、それは問題のある企業という意味ではありません。

むしろ、現場が積極的に「気づき」を報告できる健全な環境の証なのです。

「逸脱ゼロ」を誇る工場では、往々にして次のような状況が隠れています:

  • 逸脱を報告した社員が暗に責められる雰囲気がある
  • 小さな問題は報告せず、現場で処理されている
  • 逸脱の基準が恣意的に高く設定されている

逸脱報告の本当の意味

逸脱報告の真の価値は、単なる「問題の記録」ではなく「システム改善のための情報源」にあります。

2010年に私が関わった海外工場での事例です。

充填ラインで連続して3回、同じ箇所での機械停止が報告されました。

各オペレーターは適切に報告し、その都度ラインを再起動して製造を続行していました。

一見、問題は解決しているように見えましたが、3件の報告を横断的に分析したことで、特定の部品の劣化が明らかになりました。

これにより、より大きな品質問題が発生する前に予防的な対応が可能となったのです。

現場でできる”建設的な報告文化”の育て方

では、現場レベルでどのように健全な報告文化を育てるべきでしょうか。

1. 報告者を責めない文化の醸成

  • 逸脱の発見と報告に対してポジティブなフィードバックを与える
  • 「誰が」ではなく「なぜ」に焦点を当てた議論を促進する

2. 逸脱の分類と優先順位付け

  • すべての逸脱を同じ重さで扱わない
  • リスクベースドアプローチで対応の優先度を決定する

3. 改善につながる分析

  • 単なる「是正」にとどまらず、根本原因の分析を重視
  • 類似事象の横断的な分析を定期的に実施する

小さな逸脱報告が増えることで、大きな問題を未然に防ぐという逆説を理解することが、現代の医薬品製造には不可欠です。

勘違い③:「バリデーションは1回やれば終わり」

私が品質管理部門に所属していた頃、ある製造部門のマネージャーからこんな発言を聞きました。

「2年前にバリデーションを完了したのに、なぜまた同じような検証をしなければならないのか」

この疑問は、バリデーションに対する根本的な誤解を表しています。

継続的バリデーションの重要性

バリデーションとは、製造プロセスが一貫して望ましい品質の製品を生産できることを科学的に実証するプロセスです。

以下の図は、従来のバリデーション概念と現代的な継続的バリデーションの違いを示しています:

従来の概念現代の継続的アプローチ
一度実施して「合格」すれば完了プロセスのライフサイクル全体を通じた継続的な検証
特定の条件下での限定的な検証様々な条件や変動要因を考慮した包括的評価
「やるべきこと」として実施「知るべきこと」として実施
合格/不合格の二元的判断データに基づく継続的な改善

現代のバリデーションは、単なる「儀式」ではなく、製品ライフサイクル全体にわたる継続的なプロセス理解と改善のための活動なのです。

ライフサイクルアプローチの視点

FDA、EMA、PMDAのいずれも、近年はライフサイクルアプローチを重視するようになっています。

これは、ICH Q8、Q9、Q10、Q11などの国際調和ガイドラインにも反映されています。

ライフサイクルアプローチでは:

  1. 開発段階からのリスク評価と知識蓄積
  2. 商業生産における継続的なプロセスベリフィケーション
  3. 変更管理と継続的改善の統合

という流れで、製品品質を恒常的に保証する考え方が基本となります。

例えば、錠剤の硬度データを継続的にモニタリングすることで、わずかな変動傾向を早期に検出し、問題が顕在化する前に対応することが可能になります。

「やった証拠」より「できている根拠」を

バリデーションに対する大きな誤解の一つは、「やった証拠を残すための活動」と捉えることです。

真のバリデーションは、「プロセスが確かに制御されている根拠を示す活動」であるべきです。

例えば、3バッチのプロセスバリデーションで得られたデータは、それ自体が目的ではなく、将来のバッチでも同様の品質が得られることを予測するための科学的根拠となるものです。

バリデーションの本質的な問い

バリデーションのどの段階においても、以下の問いかけが重要です:

  • このデータは何を教えてくれるか?
  • プロセスの弱点や改善点は何か?
  • 将来的なリスクをどのように予測・軽減できるか?

バリデーションを単なる規制要件ではなく、自社製品の理解を深める機会と捉えることで、その価値は大きく高まります。

近年では、日本バリデーションテクノロジーズ株式会社(現・フィジオマキナ株式会社)のような専門企業が、医薬品溶出試験機や物性評価装置の提供、バリデーション/キャリブレーションサポート、標準品提供から若手研究者育成まで、製薬企業の品質保証活動を包括的に支援しています。

こうした外部リソースを適切に活用することも、継続的バリデーションの質を高める一つの選択肢と言えるでしょう。

勘違い④:「教育訓練=受講履歴」の落とし穴

「教育訓練100%実施」

多くの製薬企業の品質目標にこのような指標が掲げられています。

しかし、この数字が本当に意味するものは何でしょうか?

「やったこと」に満足していないか?

教育訓練を「受講履歴」で評価する傾向は、製薬業界に広く見られます。

年度計画に沿って教育を実施し、受講者リストに署名を集め、受講率を集計する—このようなプロセスは確かに必要ですが、それだけでは不十分です。

参加率100%の教育訓練でも、現場の行動が変わらなければ、その効果は限定的です。

私が経験した例では、無菌操作に関する教育を全員が受講したにもかかわらず、実際の作業観察では基本的な手順違反が見られました。

これは「知識として理解している」ことと「行動として実践できる」ことの間に大きなギャップがあることを示しています。

教育の成果をどう測るか

教育訓練の真の成果は、以下のような指標で測るべきです:

1. 知識の定着度

  • 単なるテスト結果ではなく、実際の業務シーンでの判断力
  • トラブル発生時の適切な初期対応能力

2. 行動の変化

  • 教育前と後での具体的な業務行動の変化
  • 作業観察での正しい手順の遵守率

3. 現場への影響

  • 教育内容に関連する逸脱や問題の発生頻度
  • 改善提案や問題提起の増加

上記の指標を用いることで、「形式上の教育」から「実効性のある訓練」へと転換することができます。

“現場が変わる”訓練のあり方

では、実際に現場を変える教育訓練とはどのようなものでしょうか。

効果的な教育訓練の要素

  1. リアルなシナリオベース
    実際に発生した(または発生し得る)問題事例を基にした訓練
  2. 参加型・体験型の学習
    一方的な講義ではなく、ディスカッションや実技を含む形式
  3. 反復と応用
    基本原則の反復練習と、様々なケースへの応用力の養成
  4. 現場へのフォローアップ
    教育後の現場観察とフィードバックの継続

私が実施した事例では、座学の講義と実技評価を組み合わせた無菌操作訓練プログラムにより、無菌性保証に関連する逸脱が約40%減少しました。

重要なのは、教育訓練を単なる「履修科目」ではなく「スキル開発プログラム」として再定義することです。

そして最も効果的な教育方法は、日々の業務の中で上司や先輩が模範を示し、適切なフィードバックを与え続けることなのです。

勘違い⑤:「監査対応=見栄え重視」の誤方向

「査察が来るから、工場をきれいにしよう」
「監査官の前では失敗しないように、いつもの担当者を配置しよう」
「難しい質問には曖昧に答えるように」

こうした発言は、監査に対する根本的な誤解を表しています。

では、監査対応における「見栄え重視」と「真の準備」の違いを比較してみましょう。

「その場しのぎ」が生むリスク

監査・査察を一時的な「試験」と捉え、見栄えを重視した対応は、短期的には成功したように見えても、長期的には大きなリスクを生みます。

例えば、ある製薬会社では国内当局の査察前に一時的に人員を増強し、通常より丁寧な製造記録を作成していました。

しかし、その後のPIC/S加盟国による査察では、過去の記録との一貫性の欠如を指摘され、データインテグリティへの疑義を招く結果となりました。

「その場しのぎ」対応の主なリスクは:

  • 普段と異なる行動による新たなミスの発生
  • 記録や対応の一貫性欠如による信頼性低下
  • 監査後の「元の状態」への逆戻りによる品質リスク
  • 現場スタッフの「特別対応」への依存と日常管理の軽視

見られる意識から”見せられる自信”へ

真に効果的な監査対応は、「見られることへの恐れ」から「見せられる自信」への転換から始まります。

これは単なる心構えの問題ではなく、日常業務の質に対する確信を指します。

私が関わった監査対応の成功事例では、次のような特徴がありました:

✔️ 透明性の重視

    • 問題点や課題も含めて率直に共有する姿勢
    • 改善計画とその進捗状況の明確な提示

    ✔️ 現場スタッフの主体性

      • 監査対応の「特別チーム」ではなく、日常業務の担当者が説明
      • 質問に対する正直で具体的な回答

      ✔️ 継続的改善の証拠

        • 過去の指摘事項とその改善策の効果検証
        • 自社での気づきと改善活動の記録

        監査は「合格するための試験」ではなく、「第三者の視点を借りた改善機会」と捉えることで、その価値は最大化されます。

        日常点検の積み重ねが真の準備

        真の意味で監査に「準備」するとは、監査直前の対応ではなく、日常の品質活動の積み重ねを指します。

        効果的な日常点検の例として、次のような取り組みが挙げられます:

        1. 定期的な内部チェック

        • 月次での自己点検と記録レビュー
        • 部門間クロスチェックの実施

        2. 「新鮮な目」の活用

        • 定期的なジョブローテーション
        • 他部署や他工場からの相互査察

        3. 外部視点の積極的導入

        • コンサルタントによる第三者評価
        • 業界標準や最新規制との定期的なギャップ分析

        ある医薬品製造部門では、毎週金曜日の30分間を「GMP時間」として設定し、その週に気づいた改善点や疑問点を共有する習慣を作りました。

        この小さな積み重ねが、実際の監査での自信につながり、指摘事項の大幅な減少をもたらしたのです。

        GMPガイドラインに対する「思い込み」あるある

        医薬品製造現場では、GMPガイドラインに対する様々な「思い込み」が存在します。

        そのいくつかを紹介し、正しい理解へと導きましょう。

        PIC/Sや厚労省通知の読み違え事例

        GMPガイドラインや通知の解釈を誤り、不必要な対応や過剰な制約を設けている例は少なくありません。

        事例1:「変更管理はすべての変更に必要」という誤解

        誤った解釈: GMPで「変更管理が必要」とされているため、作業服のデザイン変更や事務用品の変更まで変更管理手順を適用。

        正しい理解: 変更管理は「製品品質に影響を与える可能性のある変更」に適用するもの。変更の影響度に応じた分類と管理が重要。

        事例2:「バリデーションは3バッチ必須」という思い込み

        誤った解釈: プロセスバリデーションは必ず連続3バッチで実施しなければならないと固く信じている。

        正しい理解: PIC/SガイドラインもFDAガイダンスも「少なくとも3バッチ」としており、製品やプロセスの複雑さによってはそれ以上が必要な場合もある。科学的根拠に基づく決定が重要。

        事例3:「逸脱調査は30日以内に完了」という誤解

        誤った解釈: 逸脱調査は30日以内に完結させなければならないと考え、不十分な調査のまま報告書を作成。

        正しい理解: 30日は一般的な目安であり、複雑な事象では適切な調査完了のためにそれ以上の期間を要する場合もある。重要なのは調査の質と根本原因の特定。

        「書いてない=禁止されていない」?

        GMP規制やガイドラインの解釈において、「明示的に禁止されていないから許容される」という考え方は危険です。

        例えば、次のような事例がありました:

        • 「査察官が見ていないから、この工程は簡略化してよい」
        • 「規制に具体的な記載がないから、この方法でも問題ない」
        • 「他社もやっているから大丈夫」

        このような解釈は、GMPの精神である「患者保護」の観点からは不適切です。

        GMP規制は、あらゆる状況を網羅することはできません。

        そのため、明文化されていない部分こそ、科学的根拠と患者中心の考え方に基づいた判断が求められるのです。

        解釈に迷ったときの考え方

        GMPガイドラインの解釈に迷った際は、次のような視点で検討することをお勧めします:

        1. 患者視点での評価

        • この解釈は最終的に患者の安全を確保できるか
        • 自分や家族が使う薬としても安心できる判断か

        2. 科学的妥当性の検証

        • その解釈は科学的根拠に基づいているか
        • 製品品質への影響をデータで示せるか

        3. リスクベースドアプローチ

        • 潜在的なリスクは何か、その重大性と発生確率は
        • リスク低減策は十分か

        4. 一貫性と透明性の確保

        • その解釈は一貫して適用可能か
        • 第三者に説明可能な合理的な判断か

        GMPガイドラインは「最低限の要求事項」であり、その精神を理解し、科学と患者安全の観点から解釈することが重要です。

        まとめ

        医薬品製造における様々な”勘違い”を見てきましたが、これらはすべて「思い込み」から「理解」への転換が必要な点で共通しています。

        現場に本当に必要な視点の転換とは、次のようなものです:

        1. 文書のための活動から、患者のための活動へ
          GMPの本質は文書作成ではなく、患者に安全で効果的な医薬品を提供することにあります。
        2. 「やるべきこと」から「理解すべきこと」へ
          規制要件を単にチェックリスト化するのではなく、その背景にある科学的・倫理的意味を理解することが重要です。
        3. 「責任回避」から「責任ある行動」へ
          問題を隠すのではなく、問題から学び改善につなげる文化が、真の品質文化です。

        私が20年以上の製薬業界経験から伝えたい品質管理の原点、それは「品質とは信用である」という言葉に集約されます。

        患者さんは、目に見えない製造プロセスを信頼して私たちの薬を使用します。

        その信頼に応えるために、私たちは小さな違和感も見逃さない感性を持ち続けなければなりません。

        川面に浮かぶわずかな泡の動きから水の流れを読むように、製造現場の小さな兆候から潜在的な問題を察知する—その感性が、真の品質保証の基盤となるのです。

        医薬品の品質は、規制への対応だけで作られるものではありません。

        現場一人ひとりの患者への思いと責任感、そして科学的理解の上に築かれるものなのです。

        そして何よりも大切なのは、「なぜそうするのか」を常に問い続ける姿勢ではないでしょうか。